2014年1月20日は昨年愛犬が亡くなって百ヶ日。
悲しむのをやめる、そういう節目の日。
亡くなった後にたまらず書いたメモをブログに上げて節目にしよう。
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みなみありがとう。
2013/10/14 記
12年前の2001年9月。
子供の代わりのような感覚で迎え入れたコーギー。
はためにおかしく思われたかもしれないぐらい夫婦で溺愛してた。
12年経ちました。
2013年10月13日
そして今、ただただ、最愛の子供(ペットのコーギー)を看取ろうとしている。
2013年10月13日
18:00
ついに足先から鼻先まで体全てが重力に勝てなくなった。
視力、聴力はかろうじてあるのがわかる。
ガン細胞でパンパンのお腹で必死に呼吸しながら生きている。
獣医から止められたが、もしかして最後の旅行かもと決行した先月のキャンプ。
帰宅翌日の9/23朝におそらく痛みでの痙攣が出て、あわてて病院に連れて行った。
それから明日で3週間。
水も食事もほとんど摂れていない。
2013年10月13日
21:50
寝たきりのまま、溜まっていた柔らかい便がたくさん出てきた。
お尻を拭いてあげる。
おそらく最後の排便かな。
もう頑張らなくていいからね。
もう頑張らなくていいからね。
ありがとうね。
ありがとうね。
2013年10月13日
22:20
ゆっくり深い呼吸の末、永眠
夫婦で看取ることができました。
ありがとう。
12年間、たくさんの思い出がある。
撮りためた動画や画像を振り返ろう。
後悔は、トイレを外でしかできないようにしてしまったこと。
がんの手術の際に先生が見た膀胱がかなり肥大していたので、いつも排尿を我慢していたのではないかと先生に言われた。
フローリングはすべるので関節に負担をかけてしまったこと。
体力落ちたらフローリング上では立てなくなった。
廊下にペットシートを敷き詰めたら少しだけ歩けた。
そんなことで歩行が楽になるならもっと早くやっておくべきだった。
きちんと歯を磨いてやれなかった。
きちんと耳掃除してやれなかった。
きちんとグルーミングしてやれなかった。
子供が生まれてからは、そっちのけになりがちだった。
当たり前の存在になりすぎていて、世話もせず、ひどい飼い主だった。
あっという間に悪くなり、今月末まで持たないかも、と宣告されたときはとても信じられなかったが、実際は末どころか10月に入ってわずか13日だった。
そうなってはじめて気付く。でももう手遅れ。
手術で撮影されたお腹の中はすでにがん腫瘍だらけでした。
少しでも苦しまずに逝ける方法を。それだけ。
ただ安楽死は結局選択できなかった。
はじめてのことで、何を選択するべきか、参考になる経験はなかった。
先生も答えは持っていない。
水分と栄養の点滴を打つのみ。
口からはほとんど何も受け付けない。かろうじて欲しがった水も、大量の嘔吐の引き金になるので、氷ひとかけらで我慢させるしかなかった。
みなみは、必死に水を飲みたいと思っていただろうね。
つらかったね。
食欲旺盛の頃は関係なく飲めたはずの薬も嫌がってたね。
最期のほうは、低脂肪のフードや嗜好性の高い半練りタイプより、結局は馴染みのドッグフード(テクニカル)を数粒口にしたね。
ずっと食べてきたフードが安心出来たのかな?
火葬のときにフードを一緒に入れようとしていたのに、結局家に忘れてきてしまった飼い主は、最後までダメでした。
フローリングに敷き詰めたペットシートは、今はもう無い。
ベッドの周りで寝ていた姿が無く、コツコツと歩く音が家から消えてしまった。
一年間、お骨は収骨堂というところにあずけることにした。
好きだったテクニカルをまた持っていくね。
2013/10/14 記
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今でもFacebookなんかで犬の動画など見ると思い出してたまらなくなってしまうけど、いい意味で少しづつ忘れていけるようになろうと思う。
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